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引越顛末記

前回はお世話になっているアコラージュさんの伊藤名月(なつき)先生の、

とっても有難いご厚意のお話を書かせて頂きました。

引越て約2週間。

この間にもLINEで、

「どう?予約入ってる?」「実家から柿届いたから取りにおいで~」などなど、

名月先生は事ある毎にお声掛け下さいます。

尊敬と憧れと。

感謝。

 

ソファーや洗濯機などなどほぼ揃いました。

漸くサロンの体をなしてきましたよ。

しかしここに至るまでが大変でした(-_-;)

玉川1丁目から3丁目、目と鼻の先。

でも例え間借りだったとは言え、

何かと荷物が。

ベッドやラックなど名月先生がお安く分けて下さって、

軽トラ1台分かな、と。

妹が「手伝うから言ってね」と親切に申し出てくれました。

その時、「車出してもらえるかな?」と言えば良かった~!!

でも相模原から義弟に来てもらうのは憚られて「大丈夫よ」と、

せっかくの心遣いを断ってしまい。

「まぁ、環八用賀のニ〇リで大きな物買って軽トラ借りればいいや」

こういう安易な発想。

村上悦子のやりがちな。

前日になって「待て待て。引越は日曜日。玉高(玉川高島屋さん)渋滞だ!!」

ニ〇リの軽トラ貸し出しは90分。

そもそも軽トラがその時、空いているか保証は無い。

ニッ〇ン、〇ッサンレンタカーを調べるが、

軽トラなんて無い(もっと早く頼めばあったのでしょう?)~。

どうする?

・・・・・「!!!!」

地元太子堂の友人に植木屋さんがおられます。

ダメ元で聞いてみよう。

「大丈夫ですよ、どうぞ」とのお返事。

(優しい。有難い)

ラッキー。しかもこの案を思いついた自分を褒める自分。

(ってか相当図々しい案ですよ!!)

そこに恐怖の追伸が私を襲います。

「マニュアルだけど大丈夫?」

「全然、OKです!!マニュアルの2トン車も運転した事あるから~」

内心、不安と何とかなるだろが行ったり来たり。

朝9時に取りに行き、いざ乗車。

助手席には相方が(運転免許無し)恐怖に引き攣った顔で。

「えーっと、クラッチはどっちだっけ?」から始まる、

ホラードライブ。

いやぁ、半クラッチの感覚、忘れてる~。

頑張れ左足!

カックン、カックンなりながら、友人宅の駐車場から出走。

見送る友人夫妻は「・・・大丈夫か?」と。

茶沢通りから246へ。

1速から2速へのギアチェンジが特に滑らかでなく、

相方は手すり?に掴まる手が骨折するんじゃないか、位に掴んでる。

車間距離を十分に取って(当たり前)、

常に真ん中を走行。

環七のちょっと手前で、

1回目のエンスト。

青ざめる相方に

「あはは、大丈夫、大丈夫」と説得力ゼロの私。

後続車は危険を感じたのでしょう、車線変更する方やもの凄い車間距離を取る方。

(助かります。あおりの無い246を走るジェントルなドライバー)

まぁ、何とか二子玉川へ。

荷台に運ぶ、積む、そして3丁目までの運転は、

名月先生のパートナー龍司さんが!!

本当に有難いです。

素敵なカップル。

 

荷物を新居にダダっと降ろして、

246が混む前に取り合えず車を返そう。

瀬田の交差点前の合流する信号待ち。

「あ~、日焼けしちゃうな~」と出てきた日差しに怯える私。

「馬鹿野郎!!日焼けが何だ!こっちは生きるか死ぬかだ!!」と相方。

「あはは~『あまちゃん』のクドカンの名台詞あったね~「かっこ悪いくらいなんだ」だったっけ~」

「ふざけんな~!」

珍道中。

少し慣れてきたところ、駒沢と環七の間位で復路のエンスト。

相方は少しでも安心するために、

通過地点を実況中継。

「環七通過」「世田谷郵便局まで来れました」「もうすぐ三茶!」

などなど第一中継車の上重アナみたい?

 

漸く友人宅へ。マンションの駐車場に入れるのは持ち主にお願いしました。

 

後日、その友人夫妻とも行きつけのいつもの居酒屋さんで。

「まさか、悦ちゃんが運転するとは思わなかったよ」

ママは「まぁ、よく、運転しようと思ったわね」

「いやいや、こう見えて本当は運転上手いんですよ」

(どの口が言うか!)

25年以上振りのマニュアル車。

相方の寿命を縮めつつも何とか引越終了。

様々なことに慎重で、確認をしっかりする相方。

「だいたいこんなんで大丈夫じゃない」な私。

出会って26年。

ありがとうございます。

 

さて。

ネットで頼んだ荷物が徐々に届く。

 

ここからがまたプチ事件の連続。

プチ事件簿、お聞きになりたいですか?

皆様のリクエスト次第です~。